占星術研究家の岡本翔子さんが愛してやまないモロッコ。その美しい砂漠へ向かう街道の途中、バラの谷と呼ばれる小さな村で、モロッコ美容に欠かせない魔法の水「ローズウォーター」を精製する現場に潜入!? そこで見た、バラ色一色の世界とは――。

» 第2回 モロッコで早朝に手摘みされる バラの原生種ダマスクローズ
» 第3回 バラのエッセンスを凝縮して封じ込める 中世イスラム時代に発明された蒸留法

謎に包まれた、甘く芳しい香りのバラの谷へ

サハラ砂漠の北のはずれ、メルズーガにあるシェビ砂丘。砂丘が夕陽を吸い込んで赤く染まる瞬間は圧巻。

 世界遺産にも登録されている赤い街、マラケシュの旧市街に足を踏み入れたのはもう10年以上も前のことだ。まるで迷路のように入り組んだメディナ(旧市街)の喧騒と、フランス植民地時代の面影を残す新市街の洗練、さらに決定的だったのは、アルジェリアとの国境近くに広がる世にも美しいサハラ砂漠だ。それらに魅せられて、いつしか1年のうち2、3カ月をマラケシュで過ごすようになった。

 灼熱の太陽が西に沈むと、月や星の時間が始まる。あるときは月の出ない静寂の新月の夜に、またあるときは祝祭ムードが高まる神々しいまでの満月の宵に、マラケシュから4WDを駆って幾度となく砂漠へと出かけた。

 マラケシュからアトラス山脈を越えると、そこはサハラの入り口、ワルザザート。ここから始まるカスバ街道は砂と土漠の世界だが、途中にバラの谷と呼ばれる小さな村がある。5月には街道沿いの畑にダマスクローズが咲き乱れ、甘く芳しい香りを漂わせる。ただしこのケラア・ムゴナと呼ばれる村落が華やぐのは、1年のうちの僅かな期間にすぎない。ダマスクローズの旬は、4月末から5月にかけてのほんの数週間であり、バラの収穫はたったの2週間だからだ。

マラケシュ-ワルザザート間の山越えルートは、絶景ポイントがいっぱい。4WDの窓から土漠と緑のオアシス、そしてその彼方には雪をいただくアトラス山脈が目に飛び込んでくる。

 モロッコで日常的に使われるローズウォーターや、フランスの香水業界に輸出されるローズ・オットー(バラの精油)は、ほとんどがこの村で生産されている。この村の一体どこに、バラを蒸留する工場があるのだろうかと、時折、車を降りてバラの畑を散策してみるものの、それはまるでベールに隠されたイスラム女性の肌のように謎に包まれていて、辿り着くことが出来なかったのである。

 さらに言うとこの街道沿いには、観光地特有のド派手な看板を掲げたお土産物屋が連なり、そこで売られているのはまがい物のローズウォーターや毒々しいピンク色のバラ石鹸などで、この村への興味を失わせるのに十分だった。

左:土壁に囲まれた住宅に一歩足を踏み入れるとそこは別世界。アンダルース様式の中庭を望むサロン。
右:ケラア・ムゴナの街道沿いに点在するダマスクローズの畑。

 ちなみにバラはモロッコの国花であり、高級ホテルのロビーや各部屋に飾られ、また中庭の水盤にはバラの花びらがちりばめられる。スパイススーク(市場)に出かけると、乾燥したダマスクローズのつぼみがかごに盛られ、モロッコ家庭に招かれると、歓迎そして清めの印としてローズウォーターをふりかけてくれたりもする。

 モロッコの著名な作家、ファティマ・メルニーシーの小説には、40~50年代の古都フェズの暮らしと共に女性の美容法が描かれ、ローズウォーターを使ったお肌の手入れ方法が紹介されている。かつてはどの家庭にも銅製の蒸留器があり、バラやビターオレンジの花を蒸留してフラワーウォーターを作っていたという。

 ローズウォーターは美容のみならず、清めの儀式に、お菓子の香りづけに、また目薬や火傷などの治療薬にと、まるで魔法の水のように親しまれている。

2016.02.26(金)
文=岡本翔子
撮影=齋藤順子、橋本篤、岡本翔子