「鵝頸橋」周辺の昔と今の姿

1904年撮影。「鵝澗榕蔭」と呼ばれて親しまれていた情景。煙突がある場所が旧トラムの車庫で現在のタイムズスクエア。

 1857年頃、現在のハッピーバレーからワンチャイのモリソンヒルロードあたりまで沼地が広がっていました。雨期には水が溢れて浸水、大量の蚊が発生するなど、衛生面の理由から一帯が運河へと開拓されたそうです。運河の様子がまるでクネクネと長いガチョウの首のようで、運河の両脇に植えられたガジュマルの樹も美しく、地元民から「鵝頸(ガチョウの頸)」「鵝澗榕蔭(ガチョウとガジュマルの木陰)」として親しまれていました。

 しかし1920年代には運河にかけられていた初代「鵝頸橋」(木の板だったそうです)が外され、埋め立てられて運河は地下へともぐります。海底トンネル開発によって1970年代に現在のカナルロードができ、昔の橋を惜しむように「鵝頸橋」と呼ばれるようになりました。

左:左手にある高架が別名「鵝頸橋」。昔はこの下に運河が流れ、掛けられた木の橋をそう呼んでいました。高架の向こうにある市場の名前は今でも「鵝頸橋街市」。
右:高架下は、バス停があり市民の通り道になっています。水ではなく、人の流れが多くなりました。

 現在では、トラム車庫となっていた場所がタイムズスクエアとなり、木の橋は頑丈な海底トンネルへと続くコンクリートの道路となり、付近にはお洒落なお店が立ち並んでいます。ぜひ呼び名だけはずっと残っていってほしいものです。

ジェニー中村 (ジェニー なかむら)
1986年より香港在住のメディアコーディネーター。雑誌やテレビの取材コーディネートや「食」の分野を中心に、幅広く香港を取材、執筆活動などを行っている。“日々変化する香港”にテンポを合わせながらも、ふと振り返る“記憶の中の香港”に白昼夢するのが大好き。
ブログ「香港スタイル」 http://www.cathaypacific.co.jp/hongkong/blog/nakamura

Column

香港ストリート 今昔物語

いつでもどこかが工事中! そんな日々進化(?)し続けるアジア随一の国際都市・香港。香港在住のジェニー中村さんが、この街に縦横に走る数々のストリートの今と昔の姿、そこで生きる人々の目線から、香港人も知らない香港の魅力をじっくりとご紹介します。知れば知るほど香港が好きになる!

2015.11.18(水)
文・撮影=ジェニー中村