朗読会をそそのかした当人がびっくり仰天

橙書店の看板猫・しらたまくん。

 そのうえ難題もありました。春樹さんが「橙書店でイベントをこっそりとやるのもいいね。僕が朗読して、そのあと3人で話して」と言い出したのだ。

 熊本の街中に私行きつけの橙書店という小さな本屋さんがあり、そこの朗読会はすごくいいよ、この前は柴田元幸さんが朗読とギター弾き語りを披露してくれて楽しかったよ、いつかここで春樹さんの朗読を聞けたらいいな、などと前々からメールしていたのだけれど、まさか実現に至るとは。そそのかした当人がびっくり仰天の展開となる。

 もちろん朗読を聞けるのは嬉しいが、“騒動”は御免被りたい。村上春樹が朗読すると知れたら、30名がリミットのこの小さな書店には入りきれない数の人が押しかけるだろうし、マスコミ取材も詰めかけるだろうし、大騒ぎになるのは火を見るよりも確かなことで、そういうことは好きではない。

 それで橙書店店主の田尻久子さんと対策を練って、いっさいを“秘密裏”で行いイベントの案内はしないことに決めた。リーフレットなし、マスコミ通知なし。声を掛けるのは久子さんが選んだ“純粋な村上春樹の読者で口の堅そうな30名”。どなたが選ばれたのか知らない私はこの件に関しては貝になったが、他言禁止の約束のもと選ばれた皆さん方も、自分以外の顔ぶれが判らないので隣り合わせても疑心暗鬼、村上春樹の話題が出ると微妙に矛先を変えるなどして、イベントに関しては当日までひと言も口に上らなかった、と、後日久子さんから聞いた。皆さん方、えらい! そのおかげで、静かで親密でこじんまりとした朗読会が開けたと思います。

2015.08.25(火)
文=吉本由美
撮影=都築響一

CREA 2015年9月号
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この記事の掲載号

本とおでかけ。

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定価780円