当日限定のお菓子と抹茶でひと休み

 午後0時半、まずは本坊から道行の列が六時堂前に向かい聖霊会の始まりです! 獅子、菩薩、楽人、舞人、僧侶、長者、八部衆、それはそれは絢爛たる歴史絵巻です。

『蘇利古』聖徳太子にお目覚め頂く時に舞われる。
童舞『胡蝶』の美しい羽根。

 この法要でも美しい声明(しょうみょう)を聴く事が出来ます。聖徳太子にお目ざめ頂く「御手水(みちょうず)の儀」や童舞の可愛らしい子供たちがお供えを手渡しで運ぶ「伝供(でんぐ)」など、さまざまな作法から目が離せません。

 ちなみにこの美しく白化粧をした子供達は全員男の子で『胡蝶』『迦陵頻』の舞人です。

 舞楽が数曲舞われる大法要ですので、ちょっと疲れたら「極楽浄土の庭」にあるお茶席(有料)で休憩するのもいいでしょう。この日だけの特別なお菓子『太平楽』がいただけます。二ツ巴がモチーフでしょうか、これは四天王寺の紋であり、鼉太鼓にも描かれています。

お茶席のお菓子 銘『太平楽』。

 『太平楽』とは舞楽の曲名で四人舞、聖霊会の終盤に舞われる大変勇壮な舞です。武人の姿で金箔を押した鎧、甲、美しく彩色されたやなぐいを背負い、籠手(こて)、帯喰(おびくい)、肩喰(かたくい)、ひとつひとつのパーツが凝りに凝った豪華な出立ちです。源平時代の鎧甲とは違い、仏像の天部(例えば四天王や毘沙門天)が身につけている鎧甲の姿です。鎧には鈴がたくさんついているので舞人が飛び跳ねるたびにシャンシャンと鳴ります。

 舞人が刀を抜くのを合図に篝火が焚かれます。『太平楽』が舞われるのは夕方近くですが、まだ周囲は明るいままです。これは、暗くなるまで舞楽を舞っていたころの名残だそうです。

四天王寺の舞楽は「どやっ! 見たかっ!」

 ある年の『太平楽』を見ていて、なんとも華のある舞人を見つけました。年の頃は50歳前後、装束映えする体格とお顔立ち。人生も舞台も経験を重ねた円熟期の舞人の風格がありました。以来「華の舞人」とひそかにお呼びしてその方の舞を見るのを楽しみにしたものです。

『太平楽』平和への祈りをこめて上下逆に矢を入れた胡籙(やなぐい)を背負う。

 一般的な舞楽を標準語にたとえるなら天王寺の舞楽は大阪弁です。独特のダイナミックな舞振り、それはもう痛快! 舞台を降りるとき「どやっ! 見たかっ! ワシの舞を!!」と言わんばかりに天を仰ぎます。

 さてこの舞楽、どんな人たちが舞っているのでしょうか。

 それは天王寺楽人と呼ばれる天王寺楽所の皆さんです。聖徳太子が輸入した「伎楽」を取り入れて以来、脈々と今に伝えているのですから、世界でも類を見ない歴史ある芸能団体です。

 平安時代になると京都、奈良、天王寺に後に三方楽所と呼ばれる楽所ができました。当時から天王寺は宮中で活躍した京都、奈良の舞楽と少々趣の違う舞楽でしたが、かの兼好法師が『徒然草』の中で「都の舞楽に恥ぢず」と絶賛しています。

 そんな天王寺楽所にも危機があり、明治維新の混乱期に多くの楽人が東京へ移ったため、聖霊会も断絶した時期がありました。今、私たちがこの古式ゆかしい舞楽法要を見ることが出来るのも情熱をもって伝統を復活させ、継承した先人のおかげなのです。

2015.04.18(土)
文・撮影=中田文花