「マンダリン オリエンタル ホテル」の旗艦的存在

マンダリン オリエンタル ホテルの象徴的フラッグシップホテル。夜にはストリングスの生演奏が優雅に空間を満たす。

 世界25カ国、45軒のプロパティを展開している「マンダリン オリエンタル ホテル グループ」。その第一号は1963年の香港。開業後まもなく、質の高いラグジュアリーなサービスから名声を確立する。さらに1974年、「オリエンタル ホテル バンコク」(2008年に名称を現在の「マンダリン オリエンタル バンコク」に変更)が傘下に入ることで、ステイタスは不動のものに。ホスピタリティにおいて最高峰とされる2つのフラッグシップホテルをもち(いわばダブル主演!?)、ラグジュアリーなホテルシーンを席巻している。

1876年に建造されたオーサーズウィング。熱帯の木々に包まれた瀟洒なたたずまい。

 もともと伝説のホテルとして知られていたオリエンタル ホテルが誕生したのは、1876年のこと。

 バンコクは1890年まで電気が通っていなかったので、開業当時は温水もエアコンもなかった。それでも多くの名立たる作家がここをバンコクの定宿に選んだ。

鮮やかな紅色のサマセット・モーム・スイート。この部屋で川を眺めつつ日々を過ごし、病から回復したのだそう。

 このホテルを愛した文豪のひとり、サマセット・モームにまつわる、こんなエピソードがある。

 彼が最初にここへ訪れたのは1923年。その時、彼はマラリアに罹患していた。薬も効かず、高熱でうなされる中、ホテルの女性オーナーとドクターの会話をふと耳にした。

「彼をここで死なせるわけにはいかないの。彼を病院へ連れて行ってあげて」

 しかし医師は同意せず、しばらく様子をみることに。その間、何かが起きた時のためにと、モームの部屋の前には常にスタッフがスタンバイしていたそう。

 その後、モームは回復し、この体験について『パーラーの紳士』で記している。

ライブラリーには投宿した作家の作品や、ここをモデルにした作品が。三島由紀夫の『暁の寺』も書棚に。

 毎週火曜日に開催される「ザ・オリエンタル・ジャーニー」では、勤続20年以上のゲストリレーションズ ディレクターの案内で、このホテルの歴史を知ることができる(アフタヌーンティー付き。また、オリジナル書籍『オリエンタル・ブック』も贈呈される。1名2,150バーツ)。また、ライブラリーにはここへ訪れた作家の作品や、このホテルを舞台にした作品が書棚に。滞在中、ホテルゆかりの作品のページをめくりながら、往時に思い馳せてみるのはいかが?

ライブラリーの壁には名だたる文豪のモノクロームの写真が。

2014.12.29(月)
文・撮影=古関千恵子