初脚本作が世界的に評価

――10年には自身の映画会社(晉弘影業有限公司)を立ち上げ、蒼井そらさんと共演したサスペンス『復讐の絆』で脚本家デビューもしましたが、きっかけは何だったんでしょうか?

 詞を書いたり、文章を書くことは好きだったんですが、初めてちゃんと映画の脚本を書いたのは、7年前の07年のこと。それが『復讐の絆』になりました。じつはミュージシャンとしてデビューしたとき、頭の中にあったのは大好きだったホラー映画のサントラでした。子供の頃から見ていた映画が、どこか頭に残っていたんです。でも、僕は映画学校や脚本家スクールには通っていません。だから、『復讐の絆』がモスクワ国際映画祭で、最優秀監督賞と同時に、“哲学的思想を持つ脚本賞”を受賞したときには、脚本家スクールに行って学ばなくても、評価される脚本を書けるんだ、という自信がつきました。

――そして今回、『呪怨』の清水崇監督をプロデューサーに迎えた『キョンシー』で監督デビュー。日本でも人気だった『霊幻道士』シリーズへのオマージュを捧げながら、コミカル要素は一切なし。その理由はなんだったのでしょうか?

 キョンシー映画で育った世代としては、このジャンルに対する愛を表現したかったけれど、"キョンシー映画=ちょっと怖くて、笑えて、アクションがある映画"が、マストである必要はないと思ったんです。だから、リメイクではなく、リビジット(再訪)という形を取り、清水監督にプロデュースをお願いしました。それに僕はノー天気な映画はあまり好きじゃないんですよ(笑)。どんなジャンルであれ、人の観点の境界線を壊すような、或いはそれを掘り下げるような作品を作っていこうと思っているんです。

2014.10.17(金)
文=くれい響
撮影=榎本麻美