あなたが当たり前だと思っているものは、もしかしたら

今月のオススメ本
『夜は終わらない』星野智幸

玲緒奈は結婚をエサに男達から金をむしり取り、用済みになったら殺す。死の直前には必ず、男達に物語を語らせた。だが、久音(クオン)という男の物語は一夜で終わらなかった。「話すよ、また夜になったら」。そのひと言が、底なしの夜の世界への入り口だった――。
星野智幸 講談社 1,850円
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 日本文学界のファンタジスタ・星野智幸が、またやった。大江健三郎賞受賞作『俺俺』以来、実に4年ぶりとなる新刊は、全522ページの著者最長長篇だ。

「『俺俺』を書いて、疲弊したんです(笑)。なにしろ“自分”を持たない人達の集団が拡大していく話だから、世界像が非常に息苦しかった。次は好きなことしか書きたくないな……という僕自身の気分が、偶然読み進めていた『アラビアン・ナイト』と共鳴したんですね。知らなかったんですよ、あのお話がこんなにも自由で、こんなにも面白いということを。僕なりの『アラビアン・ナイト』を、現代の日本に置き換えて書いてみたいと思ったんです」

 星野版「千夜一夜物語」では、結婚詐欺師の女・玲緒奈が、騙した相手に物語を語らせる。彼女が男に別れを告げる時は、殺しの合図。だが、最後に奇妙な儀式があるのだ。「私が夢中になれるようなお話をしてよ」。命の火を少しでも延ばすため、男たちは物語を語り出す――。

「男達が語っているのは、一般には流通しないタイプの物語です。紋切り型ではないし、たやすく共感できるようなマイナーでかわいそうな物語でもない。その個人が、自分の人生を賭けて語らなければこの世に存在し得ない、切実なリアリティに満たされた物語ばかりなんです」

 40代の平凡なサラリーマン・久音(クオン)が「聞いたら二度と戻れない物語」を語り出した頃から、この小説は新たなフェーズに移行する。物語の登場人物が別の物語を語り出し、さまざまな境界線が揺らぎ出す。誰も安全地帯になど、いられないのだ。

「“あなた”が当たり前だと思っているものは、本当に当たり前のものなんですか、と。みんながそう思っているから自分もそう思うだけで、“あなた”のリアリティと向き合ってみたら、まったく違うかもしれないですよ、と……。怖いですよね(笑)。でも、別の場所に連れていかれるかもしれない、自分という存在が変質してしまうかもしれない。僕にとってはそれこそが、小説という体験の本質なんです」

 素晴らしい物語は、それに触れた者に、物語る力を覚醒させる。これは、そういう物語だ。そう告げると、作家は笑顔を見せた。

「自分のリアリティを大切にしたほうが、生きていくのがラクになるし、楽しくなるはずなんです。これを読んだ後で、何かを自分でも語りたくなったと思っていただけたら、最高にうれしいですね」

ほしのともゆき
1965年ロサンゼルス生まれ。早稲田大学卒業。97年、『最後の吐息』で第34回文藝賞を受賞しデビュー。2011年、『俺俺』で第5回大江健三郎賞受賞。著書多数。

Column

BOOKS INTERVIEW 本の本音

純文学、エンタテインメント、ノンフィクション、自叙伝、エッセイ……。あの本に込められたメッセージとは?執筆の裏側とは? そして著者の素顔とは? 今、大きな話題を呼んでいる本を書いた本人が、本音を語ります!

2014.08.03(日)
文=吉田大助

CREA 2014年8月号
※この記事のデータは雑誌発売時のものであり、現在では異なる場合があります。

この記事の掲載号

夏の京都でできること。

CREA 2014年8月号

食べて、寝て、遊ぶ!
夏の京都でできること。

定価780円