[特別連載] 2014年 最旬ハワイグルメ vol.10
 本連載を執筆する、ハワイ在住のお洒落コーディネーター工藤まやさんに「この夏行くべきレストランベスト10」を選んでもらいました。最終回はアランウォンズやロイズなどの有名レストランで飲むことができる、2013年秋に誕生したばかりの焼酎「波花」を紹介します。「ハワイに芋はあるのに、なぜ焼酎がない?」という素朴な疑問から一念発起したというハワイ産焼酎のパイオニア、平田さんを取材してきました。

2013年秋に初出荷したハワイ産の焼酎「波花」

ノースショアらしい広い空に赤土、その上に建つ蒸留所。

 1868年(明治元年)に入植がはじまったハワイ日系移民の歴史。最初の、元年者と呼ばれる契約移民にはじまり、現在ハワイに暮らす日系人たちの先祖のほとんどとなる、官約移民にいたるまで、決して楽ではない労働条件だったはず。そんななか、サトウキビプランテーションで日夜問わず働き、この地に定住して家族をもうけ、日本人というプライドをもって生きてきたパイオニアたち。

右が1期目、左が2期目の「波花」焼酎。私の夢は全期制覇です!

 そんな彼らが、このハワイの地に残した功績は計り知れません。居住空間で靴をぬぐ習慣、お米を主食とする食生活、相手を思いやる人付き合い……。昔から変わらない日本の姿がハワイの風をまといながら自然とそこにあることに、観光で来る人たちも少なからず心地よさを覚え、そしてハワイを好きになる、そんな空気を作っている気がします。

 最初の移民から146年経ったいま、どこよりも暮らしやすいハワイにあこがれてハワイ移住を夢見る人が多くいます。私もそんなのんきな移住組のひとりですが、オアフ島ノースショアに、ほかとはちょっと、いいえ、だいぶ違うカップルがいます。

ふたりの物語は、ハワイに旅行中の素朴な疑問から始まります。とある日、友人とともにポイをつまみにビールを楽しみながら、なんとなく会話にのぼった「ハワイには芋があるのに、焼酎がないのは、なんでだろう」という思い。それは、ほろ酔いのふたりの意識に残ったままどんどん形が膨んでいき、「ハワイで誰も作ったことのない焼酎作り」というアイデアに発展しました。そしてついに「どうしてもチャレンジしたくなった」と決断してからの、ふたりの行動は早かった!

「本当に地元の人に助けられ、応援してもらってやっています」と語る平田憲(けん)さん、由味子(ゆみこ)さんご夫妻。

 旦那様の平田憲さんはそれまでの仕事をすっぱりとやめて、鹿児島に移り住み、芋焼酎の作り手である「万膳酒造」で修業。通をうなせる、プレミアム焼酎を作ることでも知られる老舗で、たった3年の修業で師匠が独立を許してくれたのには、きっと平田さんの努力が認められた証でしょう。新しいものへの挑戦を応援する師匠の男気と、弟子の伝統を継承する自信のみが後押しすることのできる行動であり、未来を一緒に見ようとする師弟関係の絆を感じます。

船で1カ月かかってハワイへやってきたアンティークのカメ壷で発酵させます。

そして夫婦は海を渡りました。鹿児島の焼酎蔵で100年以上前に使用されていたカメ壷とともに、ハレイワのはずれに移り住み、水も電気もない生活からスタート。その後も数々の苦難を乗り越えて、2013年秋、念願の初出荷。決断は早かったものの、ここまでの道のりは決して平坦でなかったはず。ハワイ初の焼酎が生まれるまでにかかった9年は後戻りのきかない、前を向いて進むしかない日々の連続だったことでしょう。私は平田さん夫婦を現代のパイオニアと尊敬しきりなのです。

左:深さ1.2mのカメ壷。1日数回もろみをかきまぜる作業が必要です。仕込み期間は遠出ができないほどつきっきりで焼酎作りに専念します。
右:ハワイでは20種類ほどの芋が作られているのですが、これはオキナワンと呼ばれている種類。紫の芋がもろみとなってぷくぷく発酵している様子も見学させてくれます。

 だだっぴろい赤土の野原に、小さな蒸留所がぽつんとひとつ。そこで、すべての作業を夫婦ふたりで行うのですから、生産量も当然限られてきます。どんなに頑張っても現在の施設での生産は、年間6,000本が限度。初出荷は口コミだけだったのに、4カ月で完売したそうです。アランウォンズやロイズなどの有名レストランで飲むことができますが、小売りはこの蒸留所にてのみ。「波花」の原料はオキナワン・スイートポテトとよばれる紫色の芋ですが、今後は多種類の芋、芋以外の原料にもチャレンジしていく予定だとか。

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2014.07.22(火)
文・撮影=工藤まや