左:川瀬巴水 「上州法師温泉」 昭和8(1933)年 渡邊木版美術画舗蔵
右:川瀬巴水 「房州鴨川」 昭和9(1934)年 渡邊木版美術画舗蔵

 大英博物館では日本に先んじて史上最大規模の春画展〈Shunga:sex and pleasure in Japanese art〉が開催され、江戸東京博物館では2014年の年明け早々から「大浮世絵展」が企画されるなど、江戸時代の浮世絵は、現代の日本で、そして世界各国で愛されている。その最末期、月岡芳年、落合芳幾ら、幕末~明治にかけて活躍した浮世絵師たちはまだ知られているが、明治維新後に浮世絵=版画表現がどうなったのか、関心を持っている人はあまり多くはないだろう。この知られざる「アフター浮世絵」時代を概観できるのが、千葉市美術館で開催されている「生誕130年 川瀬巴水展 ―郷愁の日本風景」、そして同時開催の「所蔵作品展 渡邊版―新版画の精華」だ。

川瀬巴水 「尾州半田新川端/東海道風景選集」 昭和10(1935)年 渡邊木版美術画舗蔵

 明治時代に入ると、西洋から銅版、石版、木口木版など、写実的な印刷技術が導入されていくが、これらの技術はまず第一に、欧米列強に伍そうという明治政府が、紙幣や切手、証券の印刷技術を求めて招聘した、エドアルド・キヨッソーネらお雇い外国人によってもたらされたもの。写真や油画も含めた写実的な表現に対する関心の高まりの中で、平面的な浮世絵は次第に顧みられなくなり、廃れていった。同じ時期のヨーロッパで、思い切った省筆や遠近法によらない浮世絵の表現が美術界に衝撃を与えていたことを考えると、皮肉な状況としかいいようがない。

川瀬巴水 「鯉のぼ利(香川県豊浜)」 昭和23(1948)年 渡邊木版美術画舗蔵

 こうした浮世絵の退潮を憂いた浮世絵商の渡邊庄三郎は、古版画の取引や研究ばかりでなく、自ら版元となって新時代の浮世絵制作をプロデュースし、それらの作品群は「新版画」と呼ばれた。そして渡邊の下からもっとも多くの「新版画」作品を送り出した絵師こそ、川瀬巴水だったのである。

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2013.12.28(土)