ルーヴルきっての「表情と視線のドラマ」

 次に、観れば観るほど引き込まれてしまうのが、クエンティン・マセイスの《両替商とその妻》(CREA Traveller 2013年夏号 P89に掲載)だ。16世紀ネーデルラントの両替商夫妻はいかにも裕福そうで、その着ている服や貴重品の緻密な質感描写には、まさに目を奪われる。しかし、写実の技術だけに幻惑されるのではもったいない。この絵は単なる風俗画ではなく、意味がありそうだから。

 夫は金貨の重さを計り、妻は時祷書をめくりながら、金貨や真珠の方に目を向けている。金品が気になり、心ここにあらずなのか。テーブルには鏡があり、手前の窓と人物が小さく映っている。この絵の最初の額縁には「秤においても升においても不義をなすべからず」という銘文が書かれていたというから、鏡の男(画家自身?)も両替商を見張っているのかもしれない。窓枠の形は十字架にも見えるし、妻の時祷書は聖母子の挿絵の頁ではないか。つまり、不正をするなという職業上、宗教上の倫理、道徳が説かれているというのがひとつの解釈。もうひとつの解釈は、静物画でも説明した「ヴァニタス」の寓意で、世俗の金品、贅沢品に執着する虚しさを教えているようにも思われる。両替商の頭上の棚に、原罪を象徴する果物が置かれているのは偶然ではなかろう。他にも、右上の窓の外で立ち話をしている2人の人物も気になるところ。突っ込みどころ満載の作品なので、細部をじっくり観ていただきたい。

《ダイヤのエースを持ついかさま師》 いままさに、詐欺事件が進行中

17世紀前半に活躍したラ・トゥールはいつしか作品の多くが失われ、忘れ去られた。この作品は、20世紀に入り再発見された画家の初期作品のひとつ。ちなみにこの絵は1926年、パリの古美術店で売られていたという。同様の絵がアメリカ・テキサスの美術館にあり、いかさま師が使うカードはクラブのエースだ

Le Tricheur à l'as de carreau ジョルジュ・ド・ラ・トゥール 1635年制作 H106㎝×W146㎝ シュリー翼2階 展示室24
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 さて、私がルーヴルきっての「表情と視線のドラマ」と考えるのが、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの《ダイヤのエースを持ついかさま師》である。世間知らずの若者が騙されるという風俗的な主題は当時よく見かけた。右端の初な若者に対して、左の3人がぐるになっていかさまを仕掛け、身ぐるみを剝ぎ取ろうとしているのが、緊張した面持ちと視線の動きでありありとわかる。なかなかの臨場感と言ってよい。だが、この絵の意味は二重底だ。世慣れぬ青年への単なる教訓には終わらず、道徳的な寓意も秘めている。当時の悪徳の代表は賭博と飲酒と淫蕩だが、いかさま師、ワインを手にする召使い、豪華に着飾った娼婦の3人がまさに各々を体現しているではないか。とすれば、若者は無垢の擬人像ということにもなる。風俗画にも教訓や寓意はつきものなのである。

《室内の情景》もしくは《部屋履き》 謎が謎を呼び、名画はさらに面白くなる

この絵には制作者についてのミステリーもある。19世紀半ば、別の画家のサインや子犬、少女が加筆されていた。フェルメールの作品とされた時期もあったが、20世紀半ば、重ね塗りの絵の具を除き、ホーホストラーテンの作品と判明したのだ。奥の壁の絵は、同時期に活躍した別の画家の作品と酷似している……

Vue d'intérieur, ou Les Pantoufl es サミュエル・ファン・ホーホストラーテン 1654~1662年の間に制作 H103㎝×W70㎝ シュリー翼2階 展示室B
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 実際、フランスのみならずネーデルラントの風俗画にも、道徳的、教訓的な寓意を秘めた作品は少なくない。中でも、ホーホストラーテンの《室内の情景》(もしくは《部屋履き》)が謎めいていて、ことさら興味をかき立てる。静かな室内には人影が見当たらず、部屋の入り口には、思わせぶりに部屋履きが脱ぎ捨ててある。開いた扉には鍵が掛かったまま。奥の壁には絵がかかっていて、読みかけの本や消えた蝋燭が見える。手前の壁には箒が立てかけてある。これはどういうことなのか。この家の主婦が家事を放棄し、愛人に会いに出かけてしまった状況という解釈がある。画中画も男女関係をテーマとしているので、その可能性は高いのだ。と同時に、遠近法を駆使した重層的な室内空間の描写も見どころであろう。ともあれ、さまざまな想像や妄想をかき立てる作品なので、お後は観る者に任せられているのかもしれない。自分で新しいストーリーを作ってみるのも一興であろう。

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supervision:Atsushi Miura
plan / realization / text:Satsuki Ohsawa
photographs:Yuji Ono
coordination:Yûki Takahata