おわらの舞台、八尾の町を歩く

「日本の道百選」に選ばれた八尾・諏訪町本通り。美しい石畳の町並みは時間が止まったようだ<八尾おわら資料館><越中八尾観光会館>

 富山駅から八尾まではクルマで30分。飛騨から日本海側に抜ける街道筋に位置し、江戸時代から産業と交通の要所として栄えた。八尾では特に蚕種(蚕の卵)の販売が盛んで、和紙に植えつけた蚕種を全国に送り出していたという。今も残る豪華絢爛な「八尾の曳山」を見ると、当時の八尾商人の財力がどれほどのものだったかが想像できる。

左:和紙文化の魅力に出会える桂樹舎 和紙文庫<桂樹舎>
右:型染が美しい八尾和紙<杉山和紙民芸品店>

 再訪した八尾の町には、ゆったりとした時間が流れていた。おわらのときは大勢の観光客で賑わっていた諏訪町の美しい石畳の道も今は静まりかえり、エンナカと呼ばれる水路を流れる水の音だけが聞こえてくる。ときおり山から吹いてくる風が軒先に吊るされた風鈴を鳴らす。杉山和紙民芸品店を訪ねると、昨年お世話になったご主人が温かく迎えてくれた。「祭りが終わった途端、あっという間にすべて消えてしまう。テーマパークみたいだと言った人もいたよ」と笑う。それでも、八尾の町並みには、「蚕都」と呼ばれた往時を偲ばせる風情が漂っていた。

山の端に位置する八尾は坂の町。石垣の間をくねるように坂道が延びる

 山裾の台地に位置する八尾は坂の町だ。その坂を上り下りしていると、「桂樹舎 和紙文庫」という看板を掲げた建物に行き合った。古い木造校舎を移築したものらしい。「八尾和紙は昔から富山の売薬用の紙として使われていたんです。ところが時代の変化とともに紙漉きは廃れてしまった。私の父は、民藝運動の創始者・柳宗悦先生の薫陶を得て、それを復活させたんです」と社長の吉田泰樹さん。先代社長の桂介氏は染色工芸家・芹沢銈介氏の勧めで型染紙を手がけ、いまやそれが八尾和紙の代名詞となっている。「そういえば、東京のセレクトショップで型染紙の名刺入れやボックスを見たことがある」。クラフト好きの友人は目を輝かせて、和紙の展示室やショップを見てまわっていた。「じゃあ次は、富山の新しいガラス工房を見に行かない?」。明治・大正期ガラス薬瓶製造で全国一だったという富山市は「ガラスの街」としても有名だ。富山市の呉羽丘陵にある「グラス・アート・ヒルズ富山」には、公立のガラスアート専門教育機関とガラス工房があり、作家の制作風景を見学したり、作品を買い求めることもできる。その第2工房が昨年9月に完成したのだが、前回のおわらツアーではまだオープン前で見ることができなかった。それが心残りだった。八尾和紙との出会いが、私と友人のクラフト魂に火をつけたようだ。

» オープンしたばかりの第2工房。そこで取り組んでいる新たな試みとは?

八尾おわら資料館
電話番号 076-455-1780

越中八尾観光会館
電話番号 076-454-5138

桂樹舎
電話番号 076-455-1184

杉山和紙民芸品店
電話番号 076-454-2448

photo:Atsushi Hashimoto / Mami Yamada
illustration:Megumi Asakura
text:CREA Traveller
produced:Sachiko Seki
cooperation:Toyama-ken / Toyama-shi / Takaoka-shi / Nanto-shi