<最初の住居>クリスティーナ通り3番地。一家がバルセロナに引っ越した1895年、当初の下宿生活を経て最初に住居を構えたのが、写真なかほどの建物(住所:C/Cristina, 3)

 バルセロナのピカソ美術館は、この3月に開館50周年を迎えた。ピカソは生まれこそアンダルシア地方のマラガ市だが、青少年時代の約10年を過ごし、画家としての本格的なスタートを切ったのはここバルセロナ。フランス移住後も、この街には終生、強いきずなを感じていたようで、ピカソ美術館も本人のたっての希望で設立されている(ちなみにパリのピカソ美術館は、画家の死後、相続税の代わりにフランス政府が遺族から多数の作品を徴収し、それをもとに設立されたもの)。

<ピカソが学んだ美術学校「アスコラ・ダ・ヨッジャ Escola de Llotja」>ネオ・クラシック様式が美しいヨッジャ。この建物の最上階に美術学校があり、14歳のピカソが入学。この美術学校は、現在市内の別の場所に移転している(住所:C/Consolat del Mar)

 展示内容はもちろん、美術館の設計・内装もすべてピカソ自身のチェックを得た上で進められるなど、相当に思い入れのある美術館でありながら、本人はついにここに足を踏み入れることはなかった。彼は当時のスペイン・フランコ独裁政権に断固として反意を表明しており、フランコ存命の間は決してスペインの地を踏まないと公言していたのである。フランコの没年は1975年、ピカソはその2年前、1973年にフランスで亡くなっている。

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text:Miyuki Tsubota