そのホテルにかつて偉大な人物が宿泊したというだけで、旅はいきなり奥行きを増す。 そこにある理由を何となく教えてくれるこのドラマ。

 マリリン・モンローが滞在し、有名な言葉を残した帝国ホテルに、改めてホテルの旅の醍醐味を見つけてみる提案……。


マリリン・モンローが帝国ホテルに残したドラマ

 タイムマシンをモチーフにした映画にも、時折切ないほどの共感をもたらす作品がある。『ある日どこかで』は1970年代に世界幻想文学大賞に輝いた原作を映画化し、コアなファンが非常に多い。

 舞台は米ミシガン州ヒューロン湖の中の島に実在する「グランドホテル」。

 若き脚本家はホテルの壁にかかげられた美しい女性の写真を見た瞬間から、ある種取り憑かれたようにその女性のことを調べあげ、彼女が往年の人気女優であったこと、年老いてもグランドホテルを常宿とし、亡くなるその日に自分に会いに来た老婦人であることを突き止める。

 脚本家は、激情を抑えられずに時間旅行の学者のもとに行き、グランドホテルの一室から若き日の彼女に会いに行く時間の旅に出るのだ。

 この物語がとりわけ切なく、また実際に起こり得るという幻惑に引き込むのも、ホテルが宿命的に持ってしまう「四次元性」のせいなのだろう。

 そのホテルにかつて偉大な人物が宿泊したというだけで、旅はいきなり奥行きを増す。興味本位を超え、敬うべき他者と一つの時空を共有するという、他のことでは決して得られない夢想体験に浸ることができるからである。

 そういう意味で、あまりにも有名なのが帝国ホテルとマリリン・モンローが残したドラマだろう。

 1954年、モンローは大リーグの元スター選手ジョー・ディマジオとの新婚旅行で日本を訪れ、帝国ホテルに宿泊する。

 そしてあの有名な一言が生まれたのだ。

 「夜は何を着て寝ていますか?」という質問に「シャネルの5番を」。

 それは奇しくも帝国ホテルで行われた記者会見での発言だった。

 今もその壁の一部がオールドインペリアルバーに残っているライト館で行われた会見。

 今では完全にアウトの、不躾な質問ができたのも、倫理観が少々おかしかった時代性に加え、モンローが「セックスシンボル」として偶像化されていたからだろう。

 女神降臨への熱狂がもたらした前後不覚の抑制の効かない空気、しかしそれが世紀の名言を生んだわけで、こんなドラマは他にない。

 ちなみにこの言葉、1952年にライフ誌のインタビューでの発言との説もあるが、当時彼女はまだ脇役女優の1人でしかなくブレイクしたのは1953年の映画によって。

 仮に口にしていても当時は話題にならなかった。意外にも下積みの長かったモンローが一躍大スターとなるのは27歳の時、しかし36歳没。絶頂期はあまりにも短かったのだ。

 この新婚旅行もじつは幸福と不幸が交錯するような複雑なものだった。

 来日自体、読売巨人軍が夫を招致したものなのに注目は妻に集中……夫の嫉妬で旅の途中からすでに不仲となり、モンローは不調を訴えてホテルの部屋に閉じこもっていたという。

 結果としてこの結婚はわずか9カ月で終わりを告げる。セックスシンボルも演じているだけで本来は極めてクレバー、ウィットに富んだ知性の持ち主は数多くの「名言」を残してもいる。

 そうした世間のイメージとのギャップにも悩み、だから作家アーサー・ミラーとの結婚も彼女の知的欲求の表れだったのだろう。

 そうしたメンタリティを持つ人が、嫉妬と誤解にさいなまれ、遠い日本で、引き籠もった客室で、一体何を思っていたのか?

 今もモンローが愛した朝食を帝国ホテルで取ることができるが、その美しい朝食とともに彼女の憂える心情に思いを馳せてみるという旅もあるのかもしれない。

 女優が滞在した宿で、心の機微をたどるのも、旅の一つの醍醐味である。

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齋藤 薫(さいとう かおる)

美容ジャーナリスト、エッセイスト。女性誌で数多くの連載を持ち、化粧品の解説から開発、女性の生き方にまで及ぶあらゆる美を追求。エッセイに込められた指摘は的確で絶大なる定評がある。この連載では第1特集で取材した国の美について鋭い視点で語る。各国の美意識がいかに形成されたのか、旅する際のもうひとつの楽しみとして探っていく。

Column

齋藤薫の「美を紡ぐ旅」

齋藤薫さんは、女性誌で数多くの連載を持ち、化粧品の解説から開発、女性に生き方に及ぶあらゆる美を追求している。この連載では、CREA Travellerが特集において取材した国の美について鋭い視点で語っていく。

Text=Kaoru Saito