ポンピドゥーセンター・メス (C) Didier Boy de la Tour

 安藤忠雄や伊東豊雄、SANAAらと共に、海外で活躍を繰り広げる日本人建築家の1人として、坂茂の名前は既に鳴り響いている。2010年には坂の手がけたパリのポンピドゥーセンターの分館である《ポンピドゥーセンター・メス(フランス国立芸術センター分館)》が開館、現在も住宅から公共施設まで複数のプロジェクトを抱え、ひと月のうち日本に滞在する日数が片手の指だけで足りてしまうことも珍しくない。そんな坂の名が世界中で知られているもうひとつの理由が、建築を通じたユニークな災害支援活動だ。

ポンピドゥーセンター・メス(内観) (C) Didier Boy de la Tour

 坂はキャリアの早い段階から、普段見過ごしがちな素材の中に建築の材料としての可能性を見出し、実用化することで、新しい建築手法を切り拓いてきた。それはとってつけたような「環境」に対する意識ではなく、無駄なくものを活用したいという合理性に根ざす志向だ。再生紙から作られた「紙管」に注目していた坂は、試行錯誤の研究・実験の末、1980年代から「紙の家」や「ハノーバー国際博覧会日本館」など、紙管を用いた建築を実現させている。一方坂は、どこの国でも手に入る安価な素材としての紙管に、別の可能性があることにも気づいていた。

左:紙の家 Photo by Hiroyuki Hirai
右:ハノーバー国際博覧会日本館 Photo by Hiroyuki Hirai

 建築家は歴史的に見て、政治権力や宗教権力、富商など、特権階級の「力」をモニュメンタルな建築物として可視化する仕事を請け負ってきた。それとは違う形で、社会や一般の人々の役に立てることはないか。そうした思いを抱えていた時、ルワンダ内戦による難民の窮状と、住環境を改善しない限りいくら医療援助を行っても実効性がないことに気づいた坂は、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に直接乗り込み、紙管を使ったシェルターシステムを提案、UNHCRのコンサルタントとして開発を任された。

 そして翌1995年、阪神淡路大震災の発生をきっかけとして、坂を中心に建築家や建築を学ぶ学生による災害復興支援団体=VAN(Voluntary Architects' Network)を立ち上げ、新潟県中越地震、スマトラ島沖地震とその後のインド洋大津波、巨大ハリケーン・カトリーナのアメリカ上陸、四川大地震、イタリア中部地震など、世界各地で発生する自然災害に対して、「建築にできること」を模索してきた。

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2013.02.23(土)

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