エル・グレコ〈受胎告知〉 1576年頃 ティッセン=ボルネミッサ美術館、マドリード
(C) Museo Thyssen-Bornemisza, Madrid

 慶長18年(1613)、仙台藩藩主の伊達政宗が、スペイン国王とローマ教皇に慶長遣欧使節を派遣したことを記念して、400周年に当たる2013年から2014年にかけては「日本におけるスペイン年」とされている。現在、日本人にとってもっとも親しみ深い外国というと、アメリカ、あるいは同じアジアの中国や韓国になるのかもしれないが、安土桃山時代へと遡れば、初めて日本へキリスト教を伝えたスペイン出身の宣教師、フランシスコ・ザビエルはじめ、スペインと日本の交流は長く、深い。このザビエルらと同時代に、スペイン本国で活躍したのがエル・グレコである。

エル・グレコ〈聖アンナのいる聖家族〉 1590-1595年頃
メディナセリ公爵家財団タベラ施療院、トレド、スペイン
(C) Fundación Casa Ducal de Medinaceli, Hospital de Tavera, Toledo, Spain

「エル・グレコ」とは、ギリシャのクレタ島生まれであったためにつけられた、「ギリシア人」を意味する通称で、本名はドメニコス・テオトコプーロス。ビザンチン様式のイコン画を制作することから活動を開始し、イタリアのヴェネツィアとローマに滞在してルネサンスの技法と精神を吸収。スペインのトレドで開花させた、優美な人体描写とカトリックの宗教的な主題を融合させた作品によって、ベラスケス、ゴヤとともにスペイン三大画家の一人に数えられている。

エル・グレコ〈フェリペ2 世の栄光〉 1579-1582年
エル・エスコリアル修道院、スペイン
(C) PATRIMONIO NACIONAL, Real Monasterio de San Lorenzo de El Escorial

 エル・グレコが活躍する少し前のヨーロッパでは、簡潔で均整の取れた美を理想とする、ルネサンス美術が席巻していた。しかし新大陸の発見や天文学の進歩によって、カトリック教会がそれまで説いてきた教義が揺らぎ始め、それまで信じられていた「唯一絶対の神が支配する、完璧に調和の取れた世界」への疑いが人々の間に湧き上がってくる。

 中でも、教皇庁による免罪符の販売に対するドイツの神学者、マルティン・ルターの批判に端を発した宗教改革は、カトリックからプロテスタントが分離する結果へと発展、カトリック教会を窮地に陥れた。

 むろん教皇庁でもこうした状況を招いたことへの自省はあり、内部の腐敗を一掃するなど、改革に着手。これを宗教改革へのリアクション、という意味で「対抗宗教改革」と呼ぶが、そうした動きのひとつとして、カトリックの権威を目に見えるものとして表現する、壮麗な建築や祭壇画などの制作が盛んになっていく。

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2013.01.26(土)

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