週末を利用した短い旅でも、異国情緒と旅情をたっぷりと味わえるのが、マカオ。4世紀半にわたるポルトガルの居留地・統治下で育まれた独特の街並みは、クリスマスを控えたこの季節、ますますロマンチックに彩られる。

 総面積が世田谷区の半分ほどと小さな街マカオは、30カ所の世界遺産が点在する半島部、話題の5つ星ホテルが林立するコタイ地区、半島から橋でつながるタイパ島・コロアン島からなる。なかでも、南欧にいるかのような気分で散策できるのが、半島部だ。街歩きの起点となるのは、中心地のセナド広場。美しいモザイク模様を描くカルサーダス(石畳)を取り囲むように、白亜の「仁慈堂」や、コロニアルカラーの建物が建ち並んでいる。

左:中心地のセナド広場もクリスマス一色。白亜の建物は、世界遺産の「仁慈堂」
右:日没後、セナド広場はイルミネーションに彩られる 写真提供:マカオ観光局

 ここは、世界遺産が集結するエリアであると同時に、カフェやショップがひしめく、マカオきっての繁華街でもある。こんなふうに、ローカルエリアの中に世界遺産があって、その多くが徒歩で無理なく巡れるというのも、小さな街マカオならでは。セナド広場から歩いてすぐのところに、スタッコ彫刻が美しい「聖ドミニコ教会」や、世界遺産の「民政総署」、荘厳な「大堂(カテドラル)」、「聖ポール天主堂跡」などがあり、容易に数カ所の世界遺産を巡ることができる。

左:黄色の壁に白のスタッコ彫刻が印象的な「聖ドミニコ教会」
右:現役の行政機関でもあり世界遺産でもある「民政総署」は、アズレージョ(絵タイル)の美しさでも知られている

 なかでも、マカオのシンボル的存在でもあるのが、「聖ポール天主堂跡」。17世紀に建てられて以降、度重なる火災により、現在はファサード(正面壁)一枚を残す遺跡となってしまったが、もとは、イエズス会の神学校と教会からなる巨大な施設だった。日本とのかかわりも深く、江戸時代には、長崎からローマへ派遣された天正遣欧少年使節の伊東マンショ、中浦ジュリアン、原マルティノもここで学んだという。

 ふと、目の前にそびえる天主堂跡を見上げると、龍を踏みつける聖母の彫刻が。迫害を受けたキリシタンが豊臣秀吉を龍に喩え、望郷の念にかられながら彫ったと伝えられるものだ。17世紀といえば、日本ではキリスト教弾圧が激しかった時代。マカオに逃れた日本人キリシタンの中には石工職人もいて、天主堂の建設に尽力したと言われている。今は観光客でごった返すこの場所には、日本人キリシタンたちの、哀しくも切ない想いが深く刻まれているのだ。

マカオの世界遺産の中でももっとも有名な「聖ポール天主堂跡」。街のシンボルでもある

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2012.12.13(木)