雄大な山並みのなかをぬけ、海と海をつなぐ風。マウイ島のどこを訪れても、島風は人々を魅了する。迷う背中を押し、ふんわりと両手で抱きしめ、惑わすような薫りを運び、時計の針を逆回しにする風。風にとらわれるとはまさにこのこと、旅と日常の境をさらりと吹き飛ばす強い島風なのである。

イアオ渓谷のなかにある切り立った峰は、クーカエモクと呼ばれ、海の神カナロアの体の一部といわれる。渓谷を流れる水はナー・ヴァイ・エハー(4つの水)、ワイルク、ワイヘエ、ワイカプ、ワイエフの4カ所に流れ込んでいる。イアオ渓谷は空港から20分程度の距離でいける美しいマウイの山。渓谷内の短いトレイルを歩き、山並みに近寄り、渓流の水で足を洗い、森の香りを感じてみよう!

 東に太陽の家と呼ばれるハレアカラー、西に世界一、二の降雨量を誇るマウナ・カハーラーヴァイ、二つの休火山が火山活動を繰り返し、出来上がった島がマウイ島。島の主な空港であるカフルイ空港は、この二つの山が膨大な時間をかけて近づき作り上げた平地の部分にあり、絶え間なく訪れる旅人を迎えている。

ラハイナの町にほど近いラウニウポコ・ビーチパークでのサンセット。波の入らない入り江もあり、小さい子どもも楽しめます。そしてビギナーのサーファーにはぴったりの波があるので、サーフィンの練習にも。ときどき、アザラシが砂浜でお昼寝もするのんびりしたビーチ

 旅人がマウイ島を知るのに一番の近道があるとしたら、空港から風に背中を押されるままに、島の西にまわり、ラハイナの町を訪れることかもしれない。捕鯨の歴史をもつ港町ラハイナは、今はホエールウォッチングや美しいサンセットで人々を楽しませる。海沿いに走るフロントストリートは世界中の観光客がショッピングやアート、食を堪能する目抜き通りだ。

 ところが意外と知られていないのは、1778年以前、西欧文化に影響を受ける前のラハイナ。ハワイの人々が独自の文化を謳歌していた、いにしえの時代からのラハイナの姿である。

フロントストリートの南、モクウラのエリアにはカメハメハ王国初期の史跡が多い。これはカメハメハ三世の居城跡。石で積み上げられた家であったため、ハレ・ピウラ(鉄の屋根の家)と呼ばれたが、都をホノルルに移したあと使われなくなり、解体され、石は裁判所建築の際に使われた

 日本の伝統的な口上「東西~、東西~」と同様、ハワイの人々も「東からはじまり、西におわる」という終始の観念を大事にした。島の東のハナからのぼる太陽が、島の西のラハイナに沈むことを基点に世界観を築いていた古代ハワイの神々や王たちは揃って、ラハイナを愛した。

 1810年にカメハメハ王がハワイ諸島を統一し、カメハメハ二世のとき王国の首都はラハイナに。王と神官、カメハメハ王の聖なる妻たち、それから当時最も聖なる存在とされた妻で、後に王となる子どもたちをなしたケオープーオラニ。彼らが住んだ、モクウラと呼ばれる場所は、今は跡形もないが、現在のフロントストリートに面していた。

モクウラの跡地にあるモニュメント。王家の居城であったモクウラにはモクヒニアという池があり、その池に住むキハーワヒネというトカゲの姿をした女神には聖なる強い力があり、深く崇められていた。女王ケオープーオラニ及び、その子どもたちは死後、この池に埋葬されたといわれる

 ラハイナの史跡を見て歩くのに最適なのは、「ラハイナ・ヒストリック・トレイル」と題したウォーキングツアーである。町の史跡保存協会がフロントストリートを中心に南から北へ、史跡に番号をつけたのだ。町中のあらゆるところに地図がおかれ、「ラハイナ・ヒストリック・サイト」いう看板には、史跡の名前と番号がある。番号をたどるのもよし、名前を追うのもよしと楽しみ方は自由だが、歴史を巡る時間の迷路を散策するのは古都ラハイナの醍醐味といえる。

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2012.10.19(金)