食券もタクシー券も使い放題!

 成毛さんと朝吹君と何となくバンドを始めたあたりで、自分は音楽の道に進めるかもしれないなということを感じました。ミュージシャンとして、そこそこの力があるんじゃないかという手応えを強く実感したんですね。

 そのバンドはしばらく続いていたんですけど、暁星高校に通っていた朝吹君が「大学を受験するのでちょっとバンドで遊んでるわけにはいかない」みたいなことを言い出しまして。

 ほんとなのかなと思ってたら、ちゃんとめでたく慶應大学に入学されました。出会った時は僕の方がひとつ上の学年だったはずなんですが、僕が同じ大学に進んだ後には、彼の方がひとつ上になってました。

 まあ、僕は高校に4年間通ったからそういうことになったわけですが、ちょうどその4年目に、現在のマガジンハウス――当時は平凡出版といいました――が、新しい女性誌を創刊するということで、一般からエディターを募集していたんです。

 それに応募してみたら、書いている内容が面白いということで、編集室に呼ばれたんです。
何万通という応募があったと言うんですが、選ばれたのは2人だけ。 「しばらくうちでやってみないか」ということで、スタッフとして働くことになった。

 その雑誌が、今の「anan」です。

 当時の「anan」の編集室は、六本木の「ゴトウ花店」の裏にあったビルの屋上のペントハウスみたいなところにありました。

 編集の人たちは、夜の7時ぐらいにならないと来ないんですよ、全員。で、ちょっとみんなで顔合わせしたら、三々五々夜の街に消えていく。朝の7時か8時になると戻ってくるんだけど、みんないい調子になっていて、棚にあるタクシー券を取ってすぐ帰っていく。

 僕も勝手にそのタクシー券を使っていいんですよ。あと、交差点の近くに「六本木食堂」という店がありまして、そこで使える食券も取り放題だった。だから、六本木に遊びに行くと、ご飯は全部その食券でまかなって、帰りはいつもタクシー。

 僕が初めて接した社会というのがそれだったものですから、もう、大学に通うのなんて嫌になっちゃった。

 キャンパスを歩いてるすべての人が自分より全然幼く見えたんです。こんなところで勉強してるのは馬鹿馬鹿しいという気持ちになっていた。

2018.12.19(水)
構成=下井草 秀(文化デリック)
撮影=釜谷洋史