母親という立場で私を叱るリョウコをなぜか思い出せない。怒られた事がないわけではないし、怒られた記憶を意図的に葬ってしまったわけでもない。日常の中で、彼女からガミガミ言われた事が浮かんでこないのである。

 リョウコは、私が夜遅くまで虫取りをしていても、遊泳禁止の川で泳いでいても叱る事は一切なかった。なんせ自分のありかたも含めてボーダーレスな家庭なのだから、子育ても一般基準のものでは効力がないと思っていたのだろう。だから「今日学校へ行きたくない」と言えば「わかった」と叶えてくれたし、遠方で演奏旅行がある時は娘達に何日間も自主的に学校を休ませて同行させた。教師達も「あの家はあの家流にやってもらおう」という寛容な対処をしてくれていた。

 リョウコは基本的に、娘達には「世間に恥ずかしくない子供であって欲しい」という理想や強い願望を抱いていない人だった。だから、私達が彼女の思い通りの行動をとらなくても怒られる事はなかった。基本的な道徳教育は、忙しい時に子守りを頼んでいた、清貧を極めるフランシスコ修道会のドイツ人の爺さん達に任せていたので、日本社会において母子家庭という風当たりの強い環境でも、娘達がグレる懸念はなかったのだろう。

 一度、コンサートが終わって疲れて帰宅したリョウコが吹き出すほど笑った事があった。家の中は、足の踏み場もない位おもちゃやぬいぐるみが散乱し、カーテンには無数のトンボや蝶が張り付いている中で私達が布団を敷いて寝ているのを見て、自分の想像を絶する散らかり様に感動を覚えたのだそうだ。と同時に幼い娘達の、留守番という寂しさとの格闘の軌跡も感じられて切なかったと言う。

 大人になった娘が未婚で生んだ赤ん坊を抱えて帰った時も、一瞬の驚きの後に「孫の代までは私の責任だ」と満面の笑みで言い切った。リョウコにとって「思いがけない展開」は怒りとは直結しない。自分の人生に執拗な理想や思い入れを持たない人のなせる業だ。


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