震災後、しばらくは絵筆が持てなかった

 広い会場を埋める絵画やドローイング、また作家にとって初挑戦となった大型のブロンズ彫刻などは、すべて今展のために作られた新作だが、震災後、奈良はしばらく絵筆が持てなかったという。絵を描くという行為は、生きていて、かつ幸せを感じているからこそできることであり、その時に抱いた空虚な気持ちは、どうしても絵を描くことに結びつかなかったと。

≪ちょっと意地悪≫
2012 白銅
h153.0×125.0×135.0cm
(C) NARA Yoshitomo
撮影:森本美絵

 だが音楽家やコメディアンたちが被災地に足を運び、そのパフォーマンスが被災者を励まし、満たしている姿を見るようになって、音楽や笑いのような即効性はないにせよ、「その後」には美術が必要になるのではないかと思い至るに及んで、ようやく鉛筆から手に取ることができた。

(C) NARA Yoshitomo

 そして2011年の夏の終わりに母校である愛知県立芸術大学でのアーティスト・イン・レジデンス(芸術家をひとつの地域に一定期間滞在させて、創作活動をさせる制度や事業)に参加。「なるべく長くいようと思った」との言葉どおり、9月から翌3月まで滞在しながら、粘土という生の素材と格闘するように、立体作品作りに没頭した。その時完成した塑像を鋳造したものが、展覧会場で最初に出会う、手指の痕が生々しく残ったブロンズ像だ。この立体制作を終えて、やっと鉛筆のドローイングが始まり、そして彩色の絵へと進んでいく。

左:≪Searching≫
2011 鉛筆・紙
65.0×50.0cm
(C) NARA Yoshitomo
右:≪Should I Go?≫
2011 鉛筆・紙
65.0×50.0cm
(C) NARA Yoshitomo
photo by:NARA Yoshitomo

 会場には、「いままで描く過程は見えなくていいと思っていた」奈良が、初めて見せる未完成のままの作品や、完成へ向かう途上の作品など、さまざまな段階の作品が混ざったままで展示されている。もちろん以前からの「トレードマーク」的な、板や段ボールに直接描いた作品、またよりトラディショナルな、絵画としてのスタイルを守る作品もある。いずれも同じように見えてすべて、震災前に描いた作品への違和感、そしてそれを通過してもう一度描くことに向かい合った、奈良の全身全霊が投じられている。こうした作家自身の変化を集約した作品が、最後の展示室にかけられた《春少女》だ。

≪春少女≫
2012 アクリル・カンヴァス
227.0×182.0cm
(C) NARA Yoshitomo
撮影:木奥惠三

 昨年の震災を機に、多くの日本人が生き方や考え方を変えざるを得なかった。まだとまどいや迷いを抱えたままの人も少なくないだろう。なにかを急いで決める必要はない。巨大な災害の後で命を救う食べものや医療のようにはなれないけれど、「その後」の私たちに、同じように悩みや苦しみを抱いたまま、静かに寄り添ってくれる、そんなアートの力を感じさせてくれる展覧会だ。

奈良美智:君や 僕に ちょっと似ている
会場 横浜美術館
会期 7月14日(土)~9月23日(日)
休館日 木曜日
開館時間 10:00~18:00(入館は17:30まで)
料金 一般1100円
URL www.nara2012-13.org
※青森、熊本へ巡回予定

Column

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2012.07.28(土)