私が小学校に上がる時、リョウコは実家から私を神奈川に戻すように促されていた。北海道へ移住を決めたことをきっかけに、半ば勘当状態になっていたリョウコと祖父母のぎこちない関係も、私と妹が育つにつれて意固地になったままではいられない現実があった。かつて、リョウコに乳母付きで登下校させ、友達の家にすら遊びに行かせず、とにかく過保護に娘を育てた祖父母には、私達孫娘が北海道の田舎で、野蛮人化していくのをみすみす放っておくわけにはいかなかったらしい。

 しかし、リョウコはそれを頑に断った。野山で男の子達と猿のようにはしゃぎ回り、虫や小動物を捕まえることを悦びとしている娘を、しおらしいお嬢様に更生するなんて絶対無理だと確信していたからだ。それに加えて、リョウコは自分に叶わなかった自由を、娘が謳歌している姿を見続けていたかったのだろう。例えば学校で私がいじめられたり、男の子達と取っ組み合いの喧嘩をしていても、リョウコは不安な顔を見せたことがない。むしろ傷ついたり悩んだりする私をニヤニヤ眺めながら「学校が嫌なら別に行かなくてもいいのよ。好きにしなさい」などと言う時すらあった。その毅然とした態度には、学校を拒絶することが私の不平不満や悩みの解決に結びつくわけではない、と諭す効果があった。

 仕事柄、定まった休みのなかったリョウコは、たまのオフの日には私達に学校を休ませ、近隣の湖や山や森へドライブに連れて行ってくれた。長めの演奏旅行の折には何日間も娘達を同行させることもあった。母が煽動する「ずる休み」だが、教師達もリョウコの特異な職業を慮ってか、反論されることはなかったようだ。私達はリョウコに連れられて、様々な環境の中で、いくつもの一生大切にできる掛け替えのない思い出を作ることができた。幼い私達に「学校という狭い社会だけが世界じゃない」と確信できる機会を、それなりの勇気を持っていくつも創ってくれたことは、今でもとても有り難かったと思っている。


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