現在、イタリアと日本を行き来する私には「ホーム」という感覚が欠落している。かといって、どちらの国にも「アウェー」と言い切れるほど、余所余所しい感覚はない。おそらく、自分と自分がいる場所に対する関係性に執着を感じていないからなのだが、それは元々神奈川から北海道に移住したリョウコに育てられながら、「私達はいつまで北海道に居るかわからないけども」と彼女が口にするのを度々聞いて育ったせいもあるだろう。

 演奏旅行などで留守が長期になる時、私と妹はリョウコの親しい友人宅に度々預けられた。血の繫がりもない他所様の家で何日間も過ごさねばならないあの特異な感覚を知った私は、戦時中に疎開させられたり、遠い親戚のところに身を寄せねばならなかった子供達の記録や話に共感していた。あの時の経験も自分がいる場所に深い意味を求めない、私の性質を形作る大きなきっかけになったのだろう。

 夏休みや冬休みにリョウコに連れられて、彼女の東京の実家へ戻ると、私も妹もふと「もう北海道には帰らないんじゃないか」と思わせられる事も時々あった。だけど、リョウコは北海道にいるバイオリンの生徒達を見捨てる事はできなかったし、建造物に遮られない、視界が大きく開けた大地や空に活力を養われるようになっていた我々家族は、やはり東京の家に戻って暮らす事はかなわなかった。

 自然の力が優位にある土地にいた事で、私は自分のあり方を、人間という生き物越しに映さなくても平気な子供になった。リョウコはいつの間にか、社会から逸脱して野性児としての素質を育んでいく娘を見て動揺したと言うが、同時に安心もしていた。森や川に棲む生き物同様に、自然と折り合いをつけて生きていける人間になれば、怖いものはない。

「将来? 木こりでも何でも好きなものになりなさい!」とリョウコは笑いながら私に言っていたが、私はその頃から自分の自由奔放なあり方が、リョウコから全面的に信頼されている安堵と喜びを覚えるようになっていた。


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