立っている者は母(リョウコ)でも使え!

ヤマザキマリ

ベストセラー『テルマエ・ロマエ』の著者・ヤマザキマリさん。『ルミとマヤとその周辺』などに登場する美しい母親・リョウコさんが、大好きな音楽の仕事をしながら、2人の娘をどのように育ててきたかをつづる、インパクト大のボーダーレス子育てエッセイ。「こんなたくましいお母さんになりたい!」と大好評です。(不定期更新)

※ 連載中は最新の3話を公開しています。

 母の再婚相手の母親であるハルさんと暮らした期間は、実はそれほど長くは続かなかった。母はハルさんの息子との間に一女をもうけるが(私の妹のこと)、日本とサウジアラビアという超遠距離別居暮らしは「結婚」という実質的な機能を為してはいなかった。娘とハルさんという高齢者が家族に増えた事は、結婚を意味する画期的な変化であったが、男手が加わったわけではないから、母はオーケストラと家庭の両立で一層忙しい人になった。

 ハルさんはそんなリョウコの負担にならないように、身体が不自由であっても出来る限りの家事に勤しみ、私達の面倒もよく見てくれていたが、ある夏の日、彼女は我々の前から荷物もろとも忽然と姿を消した。別居暮らしの夫と埒が明かない結婚生活に疑問を感じた母が離婚を申し立てた直後の出来事だった。

 ハルさんの置き手紙を見つけた母は「お婆ちゃんを捜しにいく」と気負い立って愛車のクラウンのドアを開け、「ほら、あんた達も乗んなさい!」と幼い二人の娘をリアシートに押し込み、がむしゃらにハンドルをさばきながら北海道の内陸にある地方都市へ向かった。今でもあの光景は鮮明に覚えているが、辿り着いたその街にはゆらゆらと眩惑的な陽炎が立ちこめていて、アパートの4畳半の畳の上で、ハルさんは大きな風呂敷包みの傍に小さく座って、突然現れた我々の姿にきょとんとしていた。そして、手元の箱から落雁を取り出しチリ紙にのせ、振る舞ってくれた。

 ハルさんはその後、我々の暮らす市営住宅に戻って来た。息子と縁を切ったのだから自分はここにいてはいけないと判断しての失踪だったらしいが、戻って来てからは数年後に病気で亡くなるまで、ハルさんは私達親子と暮らし続けた。晩年はボケてしまっていたのに、他界する直前に病院のベッドでたった一言呟いた言葉は「リョウコさん、ありがとうございました」だった。母はそれに対して「こちらこそ」と静かに答えていた。

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ヤマザキマリ 近況

2017年6月24日(土)に、北海道千歳市の支笏湖ほとりにある秘湯・丸駒温泉で 「とりマリの秘湯でほっこり&ライブツアー」を行います。
とりマリ&エゴサーチャーズのライブで汗をかいて、その後はみんなでいい湯に浸かりましょう!

プロフィール

1967年東京都出身。17歳の時、絵の勉強のためフィレンツェに留学。海外生活の中、マンガを描き始める。その後、中東、ポルトガル、シカゴへ移住し、現在は北イタリア在住。『テルマエ・ロマエ』(エンターブレイン)でマンガ大賞2010、第14回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。著書に『スティーブ・ジョブズ』(講談社)、『プリニウス』(とり・みきと共著、新潮社)、『国境のない生き方』(小学館新書)、『男性論 ECCE HOMO』(文春新書)など多数。

ブログhttp://moretsu.exblog.jp

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