公演前の緊張で「旅を楽しめなかった」という10代。今では、無類の旅好きになった村治さんの、旅する毎日に欠かせない一曲を教えていただきました。

ロストバゲージで、てんてこまいに。スティングさんに会う前に、慌てて化粧品を買ったのも、今では良い思い出。フランス・カルカッソンヌで。

 ギタリスト、ドミニク・ミラーさんの「London Paris Cardiff」は、どこに旅していても、しっくりくる、とっておきの一曲。旅先で本当によく聴いています。
ドミニクさんとは、デッカのスタッフの紹介で出会い、2004年に私が初めてデッカから発表した『Transformations』に参加していただきました。スティングさんのバンドのギタリストとして有名な方ですが、バッハがお好きで、バッハをアレンジした曲を弾かれるなど、クラシックにも造詣が深い方です。違うフィールドで活躍されてきたドミニクさんとの共演と語らいには、私の世界観をずいぶん広げられました。

 たとえば、ドミニクさんが持っていらしたギターの弦はサビた茶色だったので私は驚いたのですが、「僕はスモーキーな音が好き」と、そのギターで何ともいえない、くすんだ味のある音を出していらっしゃって、真似は出来ないですけれど、とても興味深かったです。

 数カ月後、スティングさんのツアーで来日し、日本武道館で演奏していたドミニクさんは、ついこの前、隣で弾いてくださっていたのに、一万人もの前で演奏する、まごうことない「ロックの人」で不思議な気がしました。でも、楽屋に伺うと、いつもの気さくなドミニクさんがいて、スティングさんの楽屋に連れていってくださいました。すると、スティングさんもまた、さっきまでスポットライトを浴びていたのが嘘のように、キャンドルを焚いた部屋で、静かな時間を過ごされていたのです。クールダウンし、日常に戻っているスティングさんと冗談を交えてお話ししながら、こうして上手に切り替えることが、安定してこの仕事を続けられる秘訣なのかな、と思いました。私も演奏家で旅から旅への毎日ですから、お二人を見習おうと思ったものです。

 数年後、ツアー中のスティングさんにインタビューする機会をいただき、フランスのカルカッソンヌに行きました。決して大都市ではない街の、それほど大きくない会場で、スティングさんもドミニクさんも、日本武道館の時と同じように、演奏していました。ツアーは彼らの日常なのですね。10代の頃は、公演前の緊張から、あまり楽しめなかったのですが、今は旅が大好きで、旅から旅の毎日を送れて幸せです。でも、旅には物哀しさを感じる瞬間もあります。何かが続いている過程のような、せつない瞬間。その過程の一瞬を、ドミニクさんの「London Paris Cardiff」は切りとっている気がします。

 人生は旅のようなもの――とは、よく言われることですが、経験を重ね、それを身をもって感じられるようになったからこそ、この曲を存分に味わえるのだと思います。1月にツアーで来日するスティングさん。ドミニクさんも一緒であろうそのステージを観客として楽しみたいです。

“London Paris Cardiff”(from『Fourth Wall』)Dominic Miller
写真:村治さん私物/日本盤『第四の壁』WHD エンタテインメント

むらじ・かおり
1978年東京生まれ。2003年、英国の名門レーベル「デッカ」と日本人初のインターナショナル長期専属契約。名実ともに日本を代表する、クラシック・ギタリストである。

photo & talk by Kaori Muraji
realization & text by Akiko Nakazawa