プラハ現代建築のシンボル
「ダンシングハウス」がなんとホテルに!

 プラハの中心を流れるヴルタヴァ川のほとりに、中世の世界遺産の街に溶け込まない一風変わった現代建築があります。その名は「ダンシングハウス」。建物のシェイプが男と女がダンスをしているように見えることから、その名がつきました。さらにそれぞれの建物は、往年のミュージカル映画で洗練されたダンスをみせて観客を魅了した銀幕の大スター、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの名でよばれています。

ダンシングハウスという名前通り、まるで踊っているよう!

 もともとこの建物があった場所は、第二次世界大戦中にアメリカ軍によって爆撃された場所でした。当時アメリカ軍は、ドイツのドレスデンと間違えてプラハに爆弾を投下したという驚くべき事実も残っています。戦後、チェコスロヴァキア共和国は社会主義時代へ突入。この場所は再建設の議論をめぐって何十年と放置されていました。

ダンシングハウスからのプラハ城の景色は絶景です。

 たまたまこの土地を所有していたのが、ヴァーツラフ・ハヴェル 。彼は1989年のビロード革命後、チェコスロヴァキア共和国大統領に選出され、社会主義時代の自由化運動を推進し、国民からの圧倒的な支持を得た人物です。

 そして、隣接した土地にはアパートが立っており、そこには建築家のヴラド・ミルニッチが下宿していました。この偶然の出会いが、ダンシングハウスを生み出すことになります。ハヴェルは、ミルニッチに建築を依頼し、ミルニッチは世界的な建築家、フランク・ゲーリーと協力して、この斬新な建物を完成させました。

 もしアメリカ軍による誤爆がなかったら……、もしハヴェルがここを所有していなかったら……、そしてハヴェルとミルニッチの出会いがなかったら……。偶然と奇跡が生み出した建物ともいわれています。

入口は建物を支える支柱が何本も。まるで女性のスレンダーな足のよう!

 “社会の静と動”をコンセプトに完成したダンシングハウス。プラハにかつてなかったデザインだったために、1996年に完成すると国民やメディアから賛否両論が噴出しましたが、20年を経た現在では、プラハの顔のひとつとしてすっかり定着しています。

文・撮影=クレメントゆみ子