ともに是枝裕和氏に才能を見出され、映画監督の道を志したふたり。『ゆれる』『夢売るふたり』などで、国際的にも注目を集める西川美和。ドキュメンタリー映画『エンディングノート』で鮮烈なデビューを飾った砂田麻美。一方で、共に小説家としても、その才能を高く評価されている。共通点が多くありながら、その実対照的ともいえる道を歩むふたりの女性クリエイターが、映画監督として、小説家としての思い、そしてお互いへの思いについて、さまざまな角度から語り尽くす。西川美和の最新作『永い言い訳』公開記念のスペシャル対談、第2回!

» 第1回 「映画監督への道、ふたりのアプローチ」
» 第3回 「新作『永い言い訳』についての言い訳」

小説を書くようになったきっかけは……

西川美和さん(右):『蛇イチゴ』(2002)でオリジナル脚本・監督デビュー。最新監督作品『永い言い訳』が2016年10月14日(金)より全国公開。
砂田麻美さん(左):ドキュメンタリー映画『エンディングノート』(2011)で監督デビュー。2016年1月に上梓した小説『一瞬の雲の切れ間に』が各紙誌で好評を博す。

――おふたりの共通点として、映画監督と並行して小説も書く、ということが言えると思います。女性と男性を分けるのも変かも知れませんが、日本では女性映画監督の絶対数が少ない中で、小説を書く女性監督の割合は多い気がします。

西川 タナダユキさんも書いているし、女の人って書くのとセットなのかな?

砂田 そういえば、荻上直子さんも小説を書かれてますよね。

西川 男性は書かないのかな。是枝(裕和)さん、青山(真治)さん、足立(紳)さんとか? 足立さんは元々シナリオライターだけど。

――西川さんが小説を書かれるようになったきっかけを教えてください。

西川 「月刊シナリオ」に載った『蛇イチゴ』のシナリオを読んだ、ポプラ社のYさんという編集者の方が丁寧なお手紙をくださったんです。「小説を書ける人だと思うので、『蛇イチゴ』をノベライズしてみませんか?」って。でも、撮り終えた作品は私にとってはもう終わったものなので、戻りたくはない。だから、次に撮る映画で何かしらの形で、という風にお答えしたんです。ちょっとした文章を書かせてもらったりしたことはありましたが、いわゆる小説を書くきっかけは、そのYさんです。

――脚本以外に、大学の授業とかで、小説を書くという経験はなかったんですか?

西川 ないですね……。あ、ある! 24歳くらいのとき。助監督時代にくすぶっていたとき、現場から逃げ出す形で小説を書いて、とある文学新人賞に送ったけど、なしのつぶてだったことがありました。まあ、そんなもんだろうと思ってましたね。それで、『ゆれる』を撮ったあとに小説版を書かせてもらったのが、最初の作品だったのかな?

――これでいきなり三島賞候補になるなど、小説家としても注目を集めたわけですね。

西川 私は自分を小説家だとは絶対に言いたくないのですが、それなりに読んでいただいたのかな、という感じですかね。でも書くことで出来ることと、映画で出来ることって全然違う。すっごく楽しいんです、書くことは。

――砂田さんが小説を書くきっかけは?

砂田 私もそのポプラ社のYさんです。

――こちらも!

砂田 是枝監督の助手として初参加した『歩いても 歩いても』で撮影日誌を書かないといけなくて。当時私はチームの一番下っ端で、暇そうだからお前が書け、ということで書いてたんです。それをYさんが読んでくださって。それで、何か書くことに興味はないですか、ってメールをくださって。是枝さんのアシスタントになってすぐのことです。

西川 それはすごい。

砂田 でも、そこで少し書いたりしたんですが、表に出ることはなく、そのまま月日が流れて。それで『エンディングノート』のときに、私は娘としての視点は映画に入れないって決めて撮っていたんですが、家族としての視点も残したいという気持ちがわいてきて。文章にしたいと思って、Yさんに相談したんです。それで小説なら良いですよ、って言われて。

――エッセイやドキュメンタリーではダメだった理由はなんだったんですか?

砂田 小説じゃないと売れない、って(笑)。私は小説だなんて、思ってもみなくて。でも結果的にやってみて、ルポやドキュメンタリーにしなくて良かったと思いました。

――ドキュメンタリー映画の小説化というのは、あまり聞かないですよね。

砂田 そうですよね。

西川 それは映画の『エンディングノート』とは別物なの?

砂田 別物ですね。出てくる人物も架空ですし。感情的な核は一緒ですけど、話や人物は基本、架空の設定です。

――フィクションの世界に挑戦してみてどうでしたか?

砂田 ドキュメンタリーってそこにあるものを切り取って、その積み重ねで出来上がっていく。編集はあるにせよ、語り部たちの話を自分でしゃべらせるわけにはいかないので、(小説を書くのは)こんなに清々しいのか、と思いました。

――おふたりともある種の快感というかカタルシスが、書くことのほうにあるようですね。

西川 映画をやっているからそう思えるんだと思いますよ。書くことだけに絞ったら、それはそれでいろんなものを背負ってしまうし、難しさは当然あるので。ただ小説の場合は、書いたものを撮らなきゃいけない、というのがないので。

砂田 西川さんはそれがありますもんね。

西川 (映画だと)思いついても、費用や時間と折り合わないと出来ないこともあるわけですから。いいアイデアなんだけど、とか、いい台詞なんだけどな、と思っても切らないといけないこともある。シナリオ作りでは、イヤってほど徹底的に身を削られているわけですね。だから小説だと、自由に、予算にも時間にも縛られず、可視化不可能なものを多面的に書けるっていうのが、楽しくてしょうがない。

砂田 私はフィクションを撮ったことがないので、そこまで身を削る経験はまだないんですが、でもドキュメンタリーの楽しさはあれど、その人が何を考えているのかを書けるということに、本当の意味で自由を感じて。ドキュメンタリーは相手が実在の人ですから、気を遣う。基本的に私は撮る相手を好きになるんですね。ちょっと性格に難ありの人でも(笑)、その中のチャーミングさを引き出したいと思うんだけど、小説の中では悪人は悪人として描いていいんだ、意地悪な心に徹していいんだ、というのがちょっと驚きでした。

2016.10.12(水)
文=石津文子
撮影=志水 隆