立っている者は母(リョウコ)でも使え!

ヤマザキマリ

ベストセラー『テルマエ・ロマエ』の著者・ヤマザキマリさん。『ルミとマヤとその周辺』などに登場する美しい母親・リョウコさんが、大好きな音楽の仕事をしながら、2人の娘をどのように育ててきたかをつづる、インパクト大のボーダーレス子育てエッセイ。「こんなたくましいお母さんになりたい!」と大好評です。(「CREA」にて好評連載中。不定期連載)

※ 連載中は最新の3話を公開しています。

 女性団員第一号奏者として設立したての札幌交響楽団に参入したリョウコだったが、父はそこで新鋭の指揮者として棒を振っていたらしい。

 彼は元々音楽家を目指していた人というわけではなく、工学を学んでいた北海道大学ではスキー部に所属し、いくつかの競技会に出場する程の実力があったという。当時の札幌交響楽団において男性は圧倒的なマジョリティであったわけだが、その中からリョウコが父を選んで好きになった理由は一体何だったのだろうか。

 私は自分が17歳でイタリアへ渡った時、直ぐにその土地の文化を背負って立っているイタリア育ちの男性を好きになった事で、自分と何の縁もない国へやって来てしまった惑いを振り切る事ができたが、母にも恐らくそれと同じ心理が働いていたのではないかという気がしないでもない。北海道という大地の象徴のような、雪にもひるまない逞しい男性に惚れる事で、リョウコはそこで暮らしていく意思を固めたのだろう。

 リョウコを惚れさせたそんな父がどんな家庭の出身者であり、何故私の誕生後間もなく亡くなってしまったのかもよく知らないが、付き合い出した時には既に何らかの病気を患っていたようだ。リョウコが険悪な間柄だったはずの実家に戻って出産をした事から、その時の不安定なバックグラウンドと彼女の心細さが窺えるが、母の育児日記を読むと、私が生まれた1年後のページには「ふたりきりでも頑張って生きていこうね」とだけ綴られていた。

 付き合ってほんの2年程度での夫との死別には恐らく想像を絶する悲しみと辛さが伴ったはずだが、その時の心境も、そしてその苦しい時間をどうやって乗り越えたのかも、彼女は私に語った事はないし、これからも語るつもりはないようだ。

 短い期間であっても夫との大切な思い出が刻印された北海道に残り続けようと決意したリョウコ。そんな彼女の人生にはまた新たな展開が控えていたのだった。

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ヤマザキマリ 近況

2016年10月10日(月・祝)に下北沢Gardenで、BAR「バシブズーク」主宰のライブに、とりマリ&エゴサーチャーズが出演します。よかったら遊びに来てください~! チケットはイープラス(外部サイト)まで。

プロフィール

1967年東京都出身。17歳の時、絵の勉強のためフィレンツェに留学。海外生活の中、マンガを描き始める。その後、中東、ポルトガル、シカゴへ移住し、現在は北イタリア在住。『テルマエ・ロマエ』(エンターブレイン)でマンガ大賞2010、第14回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。著書に『スティーブ・ジョブズ』(既刊4巻、講談社)、『プリニウス』(既刊4巻、とり・みきと共著、新潮社)、『国境のない生き方』(小学館新書)、『男性論 ECCE HOMO』(文春新書)など多数。

ブログhttp://moretsu.exblog.jp

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